京都、奈良のお寺、全国のお寺、仏像、お城巡り、他

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2021年02月05日
お寺とか徘徊してます
「阿部文殊院」
大化元年(645)に創建された日本最古に属する寺院。
華厳宗東大寺の別格本山としてその格式も高く、
御本尊は「三人寄れば文殊の知恵」のことわざでも有名な
文殊菩薩で、日本最大(約7m)快慶作の国宝である。
         
 平成25年6月、本尊の文殊菩薩(渡海文殊群像)は鎌倉時代の有名な仏師・快慶の造立として知られ国の重要文化財として指定を受けていましたが、鎌倉時代に再建された東大寺大仏殿に関わる歴史的文化財として更なる重要性から国宝として指定されました。 
当山の文殊菩薩は、獅子に乗るお姿でその総高は7mと、現存する日本の文殊菩薩の中では、最大の大きさを誇ります。そのお姿は、獅子に乗る文殊菩薩を中心として、左に優填王が手綱を執り、右に仏陀波利三蔵(須菩提)と、最勝老人(維摩居士)が前後に侍し、この一群を財善童子が先導する渡海文殊の群像です。(以下省略)

 快慶作 文殊菩薩の細かくて緻密な彫り(近くでは見れませんが)素晴らしいです。

昨年、舞鶴の金剛院で見た快慶作「深沙大将立像」も快慶の緻密さがよく出ています。(写真などでは分かりませんが、実物はすごく計算されて彫っています。)と、お寺の説明でありました。happy01
金剛院近くの松尾寺にも快慶。中山寺(福井高浜)に運慶の長男 湛慶の作品があります。
2020年11月29日
お寺とか徘徊してます
今年は新型コロナの影響で何処にも行けませんでした。テレビでは今年も永観堂はすごい人だったらしいです。(写真は昨年の徘徊)
「永観堂」永保年(1082)、永観50歳のころである。2月15日払暁、永観は底冷えのするお堂で、ある時は正座し、ある時は阿弥陀像のまわりを念仏して行道していた。すると突然、須弥壇に安置してある阿弥陀像が壇を下りて永観を先導し行道をはじめられた。永観は驚き、呆然と立ちつくしたという。この時、阿弥陀は左肩越しに振り返り、「永観おそし」と声をかけられた。永観はその尊く慈悲深いお姿を後世に伝えたいと阿弥陀に願われ、阿弥陀如来像は今にその尊容を伝えると言われている。
 
 辺りは紅葉で、身も心も真っ赤になりましたー!happy01って…あのぉ〜ウルフちゃん パンツが後ろ前 逆でねんか?ちょっと振り向いて見てみたら?sad「ウルフばかし」


 

「大覚寺」大沢池〜日本最古の庭池〜
令和元年10月1日〜12月2日の五大明王像特別公開に行ってきました。 ここも昨年の徘徊。

 弘法大師空海を宗祖と仰ぐ真言宗大覚寺派の本山。正式には旧嵯峨御所大本山大覚寺と称し、嵯峨御所とも呼ばれる。平安初期、嵯峨天皇が檀林皇后とのご成婚の新室である離宮を建立されたが、これが大覚寺の前身・離宮嵯峨院である。嵯峨院が大覚寺となったのは、皇孫である恒寂入道親王を開山として開創した貞観18年(876年)である。弘法大師空海のすすめにより嵯峨天皇が浄書された般若心経が勅封(60年に1度の開封)として奉安され、般若心経写経の根本道場として知られる。明治時代初頭まで、代々天皇もしくは皇統の方が門跡(住職)を務めた格式高い門跡寺院である。いけばなの発祥の寺でもあり、「いけばな嵯峨御流」の家元でもある。時代劇・各種ドラマのロケ地としても有名である。
 ウルフ、五大明王の写真を撮ろうとしたら係の人に怒られましたsad撮影禁止エリアです。happy01

因みにウルフは「くさい・きたない・カス・クズ・気持ち悪い」の5Kです。happy01 頑張ります!
2020年08月05日
お寺とか徘徊してます
 金堂(国宝)は平安時代前期の建築で、屋根は寄せ棟造りこけらぶき。建物の前方は懸造になっており、前に張り出した部分を床下の長い束で支えている。
これは江戸時代に付加された礼堂で、それ以前は石段上から堂内の仏像の姿が拝めたという。
 堂内の須弥壇には、向かって左から十一面観音立像(国宝)、文殊菩薩立像(重文)、本尊釈迦如来立像(国宝)、薬師如来立像(重文)地蔵菩薩立像(重文)の五尊像が並び、その前に、伝・運慶作 十二神将立像(重文)が一列に配されている。
 五重塔(国宝)は法隆寺五重塔に次いで日本で2番目に古く、日本で一番小さい五重塔です。脚立に上がれば届きそうです。
 新しく見えるのは1998年の台風で損傷を受け2000年に修復工事されたからだそうです。
十一面観音立像は二月まで東京の展示会に出張中と貼り紙がしてあり、見れませんでした。

 

 
2020年05月01日
お寺とか徘徊してます
 千本釈迦堂大報恩寺は今から約八〇〇年前、鎌倉初期安貞元年(一二二七)義空上人によって開創された寺である。本堂は創建時そのままのものであり、応仁・文明の乱にも両陣営から手厚き保護をうけ、奇跡的にも災火をまぬがれた京洛最古の建造物として国宝に指定されている。義空上人は、藤原秀衡の孫にあたり、十九才で叡山澄憲僧都に師事、拾数年ののちこの千本の地を得て、苦難の末本堂をはじめ諸伽藍を建立した。・・・(パンフより抜粋)
 快慶の仏像があると言うので立ち寄った千本釈迦堂大報恩寺で偶然、昔仕事(PR〇)でお世話になった上〇さんにお会いしました「お〜福井から来たんか」上〇さんは受付で入場券、御守り販売や御朱印書を一人でやっていました。
 快慶・定慶作の仏像は本堂横にある別棟の霊宝殿内にズラーっと並んで展示されています。(下の写真、六観音菩薩像)
京都市上京区七本松通今出川上ル  
境内に無料の駐車場があります。https://www.kyoto-museums.jp/museum/north/952/ウルフは駐車場入り口がどこにあるか分からなかったので近くのコインPに止めました。(境内西側、民家の間に小さな入口誘導看板がありました)
 ウルフ「星野源さんとコラボしました〜!!」って・・
shadowあのぉ〜ウルフちゃん「うちで踊ろう、ひとり踊ろう」って言うてるやろ!annoy
それに、あれほど小池さんが「3蜜」「3蜜」って言ってるのに何回言ったら分かるんかの〜sad
 
九州国立博物館「快慶・定慶のみほとけ」展より
2020年04月26日
お寺とか徘徊してます
 長谷寺は、山号を豊山とし、朱鳥元年(六八六年)、道明上人が天武天皇のために「銅板法華説相図」を初瀬山西の岡に安置したことにはじまり、のち神亀四年(七二七年)、徳道上人が聖武天皇の勅願によってご本尊十一面観世音菩薩を東の岡にお祀りになりました。徳道上人は観音信仰にあつく、西国三十三所観音霊場を開かれた大徳として知られ、長谷寺はその根本道場とも呼ばれるゆえんであり、長谷詣、長谷信仰は全国に広がりました。
 ご本尊十一面観音菩薩は近江国高島から来た楠の霊木を用いて三日間で造り上げたといわれ、全国に広がる長谷観音の根本像です。御身の丈三丈三尺(十メートル余)、右手に錫杖を持ち、平らな石(大磐石)の上に立つ独特なお姿をしています。
(長谷寺パンフレットより抜粋)※普段は見れない十一面観音菩薩像。年二回の特別拝観日にしか公開されないそうです。